大判例

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横浜地方裁判所 昭和47年(ワ)1792号 判決

原告

甲野花子

〈仮名〉

右訴訟代理人

今富博愛

被告

甲野太郎

〈仮名〉

右訴訟代理人

長谷川正之

主文

被告は原告に対し、金五〇万円及びこれに対する昭和四八年一月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は原、被告の平分負担とする。

この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告

「被告は原告に対し、金二〇〇万円及び本件訴状送達の日の翌日である昭和四八年一月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告の負担とする。」

旨の判決並びに仮執行の宣言

二、被告

「原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。」

旨の判決。

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  原告は、昭和三九年○○県立○○○○高校を卒業後○○洋裁学院に一年間通学し、昭和四〇年から○○商事有限会社に就職し、そこで働く間に当時トラツクの運転手であつた被告の長男訴外甲野一郎と知り合い、昭和四三年六月二日挙式、同年七月六日婚姻届出を了した。そして、被告肩書地に在る一郎所有名義の家屋に一郎の両親(被告とその妻梅子)及び祖母松子と同居して新婚生活に入つた。

2  しかるに、三年余を経過した昭和四六年七月二四日、たまたま夫一郎が出張中であつたため原告が一人で就寝していた二階の若夫婦の部屋に、午前二時頃義父である被告が忍び込み、原告にむりやりいたずらしようとした。原告は驚き目覚め押しのけて大事無きを得たが、その後はこのことを忘れようと努めながらも、その嫌悪感から、一週間後の同月末日頃、仲人である訴外丙川菊子方を訪れ、一部始終を打ち明けたが、夫一郎には打ち明けなかつた。

3  その中に翌月の八月下旬になつて一郎も事情を知り、夫婦は被告ら両親と別居することになり、他にアパートを借りることに取り決め、原告は一時その実家に戻り、引越先き、引越日も取り決め、調度品も準備した。ところが、その後、一郎は、被告が一郎に対し真実をかくし原告の言う事実を否定したため、父である被告の言を信じ、却つて原告の言葉を疑つて、九月二五日夜、仲人の丙川方に離婚の意を伝え、翌日原告にも別れ話を伝えるに至つた。そのため、原告は夫一郎に対する信頼関係を失い、婚姻を継続し難くなり、昭和四六年一二月二五日横浜家庭裁判所に離婚の調停を申立て、九回にわたる調停期日をもち、婚姻生活を立て直すことも話し合われたが、昭和四七年九月二六日不調に終り、原告の婚姻生活は完全に破綻し、婚姻を継続すべからざるに至つた。

4  すなわち、被告は、前記2の姦淫行為に及びながら、これを秘匿し、因つて原告の夫をして妻たる原告の言を信ぜずして父たる被告の言を信ずるに至らしめ、折角両親との共同生活から二人だけの別居独立の生活を準備しながらこれを破綻せしめ、原告の婚姻生活を継続し難いまでに破綻せしめたもので、このような原告に何ら責なき被告の行為により婚姻の幸福を奪われた原告の悲哀は大きく深いのみならず、重大にしてぬぐい得ない精神的汚辱を与えられたものであり、加うるに、女性の再婚は男性のそれに比して著しく困難な社会的事情を思えば、原告の精神的損害は、これを慰藉するに金二〇〇万円の慰藉料支払をもつてすることによつて辛じて償われるべきである。

よつて、原告は被告に対し、右慰藉料二〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四八年一月二五日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、答弁

1  請求原因事実1は認める。

2  同2のうち、原告が丙川菊子方を訪れたことは不知、その余の事実はすべて否認する。

被告が、原告主張の日時ころ、一郎の不在中、二階の原告ら夫婦の居室に甲野家で飼育していた犬が子を生んだので、仔犬の様子を見るべく二、三分入室したことはあるが、入室のときは扉を叩き、「犬はどうだ」と声をかけて入り、入口近くの犬の箱をのぞいただけであつて、原告はそのとき寝ていたが、ベツドに腰かけ、被告に平穏に応待した。その時刻には階下に家族全員が起きていたのであるし、何よりも息子の嫁に姦淫できる筈がない。

3  同3のうち、八月二七日ころ原告がその実家に戻つたこと、横浜家庭裁判所に原告申立の調停が係属し、これが不調になつたことは認めるが、その余の事実は不知。

4  同4の事実は否認。

5  仮に被告の不法行為が成立するとしても、

(一) 昭和四六年九月二四日被告方において、原告夫婦、被告夫婦間においていわゆる「いたずら」につき話合が行われたとき、原、被告間に和解が成立し、原告は事態を円満に納めるといい、被告に対する右件についての請求権を放棄した。

(二) 原告のいわゆる「いたずら」についての和解が成立したことにより、被告の「いたずら」が原因で原告夫婦の婚姻が破綻し継続できなくなることはあり得なくなつた。原告ら夫婦の婚姻は、別個の破綻原因によつたもの、すなわち、原告が被告ら両親の家を出て別居しようとしたときの原告自身の無思慮な行動によつて、夫の一郎をして急激に原告に対する不信感を生ぜしめ、夫婦の話合の過程の中で、一郎に離婚の意思を生じたのであり、それにもかかわらず一郎は、調停の場で、離姻しないで再度やり直しをする意思をもちその点につき話合が行われたところ、原告の方で、「一郎は頼りない。親から別居独立の意思が判りしない。」など申し述べて、調停不調ならしめたのである。右の次第により、原告夫婦の離婚は、いわゆる「いたずら」に因る被告の不法行為との間には因果関係がない。従つて、離婚に因る原告の精神的損害は、被告の「いたずら」に因るものというを得ない。

(三) 仮に右因果関係があつて、離婚に因る原告の精神的損害につき被告に若干の責任があるとしても、離婚の原因は、むしろ原告自身が(二)に述べたような別の理由で夫婦間の信頼を破壊し破綻せしめたに在るのであるから、慰藉料額決定には、その点を斟酌させねばならない。

三、被告の主張事実に対する原告の認否

否認。

第三  証拠〈略〉

理由

一原告が昭和三九年○○○の高校卒業後○○の洋裁学院に一年間通学し、昭和四〇年○○商事有限会社に就職勤務するうち、隣りの○○運送株式会社に勤務するトラツク運転手の甲野一郎と知り合い恋愛し、約二年の後、会社勤務をやめ一郎との交際も中絶したあと、昭和四三年春頃、一郎が、祖母・伯父と共に原告方を訪れて結婚を申し入れ、婚約成つて同年六月二日挙式、一郎所有名義の新築家屋に一郎の祖母、両親と共に同居して新婚生活に入り、同年七月六日婚姻届出を了したことは、当事者間に争いがない。

二〈証拠〉並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、次の事実が認められる。

1  両親との同居は結婚時からの約束事であつて、新婚夫婦は二階に住み、祖母、両親は階下に住み、食事は親の方で一家全体をまかない負担した。一郎は昭和四五年五月頃、○○運送会社をやめ、前年父甲野太郎(被告)の設立した建設会社に入社したが、各地の建設現場への出張が多く、甚だしい月は月のうち四、五日帰宅できるに過ぎないこともあつた状況下に、夫婦仲は良くまだ子はなかつたが、結婚三年目の昭和四六年正月には夫婦で愛犬「プードル」を買い求め、二階の夫婦の部屋に飼つていた。しかし、原告と被告の妻梅子との間は次第に嫁姑の感情的対立から不和勝ちとなつていて、一郎が原告を、被告が梅子を各たしなめるという経過をたどりつつあつた。

2  一郎がたまたま出張中であつた昭和四六年七月二三日夜、原告はギツクリ腰を病んで二階の若夫婦部屋に独り就寝していたところ、夜半に被告が出張先き長野県の現場から帰宅し、入浴食事のあと、二四日午前一時半を過ぎていたが、最近「プードル」が仔犬を産んだことを承知していたので、妻の梅子に「犬はどうした」と聞くと、「見に来いといつてたから見て来たら」といわれてその気になり、二階に上り、若夫婦部屋の扉をノツクして入り、豆電球の点つている室内の扉近くの「プードル」と仔犬を見たのであるが、室内の奥のベツトに眠つていた原告を見て、愛戯心を生じ、左手をタオルケツトの上から原告の腰辺りに廻わし、唇を重ねたため、原告は目覚め、父と認め、、驚ろいて頬を平手打ちして起き上つたが、声も出ず、スタンドの照明を点け、ベツトの縁に腰かけた姿勢でいたのに対し、被告はニヤニヤし、仔犬を抱いて「これなら大丈夫だ」といい置き、扉を閉めて室を出、家人のまだ起きていた階下に下りて行つた。原告は、驚きと嫌悪感から一睡もできずその夜を明かし、翌日叔母丙川菊子(長男和夫は原告の仲人)に公衆電話で泣き声で右事情を打ち明けたところ、「余り騒ぎ立てぬよう」「一郎には黙つているように」との忠告を受け、被告が出張先きから帰宅するまで六日間ばかりは、夜は照明を点け放しにして睡眠できず、昼間に眠るなどして過ごし、被告を避け、出勤送り出しの挨拶もせず、嫁に対する梅子の悪感情を誘発した。

3  約一ケ月後のある朝、原告が台所に下りると、台所口に鍵がかかつていないので、昨夜かけ忘れたかと思い、かけたところ、生憎、梅子がごみを捨てに台所口から出たあとだつたため、わざと閉め出されたように誤解した梅子が感情を暴発させ、あやまる原告に対し、畳みかけて、「最近の態度がわるい」と叱りつけたため、原告も一ケ月間平静を失つていたためカツとなつて前後を忘れ、わめき合いのような状況下に、原因は被告にあるとして、「父がしたことを知らないだろう」と、二四日の夜半の出来事を口にしてしまつた。

4  当日帰宅して原告の様子の異常に気付いた一郎は、原告に聞き質して事情を知り、メンスの有無を確かめ、又、被告に質して、「犬を見ただけだ」といわれ、直観的に父親よりも原告を信じ、憤激に駆られ、直ちに原告を伴つて原告の実家に赴き、「出張が多くなる」ことを理由に原告を実家に預け、両親から別居する決意を固め、「貸室を探すよう」、原告にいいつけ、又広島方面へ出張に出かけた。

5  原告は、一郎の不在中その月(八月)のうちに○○市内方面にアパートを借り、一郎にその旨連絡し、「九月一二日を引越日」と打合わせ、九月一〇日一郎に電話して、「一一日荷を取りに行く。母に伝えてほしい。」とその際、一郎は原告に対し、「母もいることだから、穏かに行動するように。」と念を押し、かくて原告は、一一日原告の姉と二人で被告方に赴いて、一郎及び被告の不在中であつたが、荷造等をしたのであるが、別居独立後の乏しい経済を考え、又、被告と共に買い求めた愛着もあつて、カーテンレールをも持ち去ろうと取りはずしたが、退去後のことを思い、不穏当と考え直して、取りはずしたままに放置し、又、両親と共用していた台所用品や冷蔵庫の中の物をも取り集めて荷にし、又、被告のベツトの上に荷物を散乱させ、被告が帰宅した場合、直ぐに就寝できない状態のままにした。又、母の梅子に対し「こんな事になつてしまつて。」と挨拶したにかかわらず、梅子が恐ろしい顔をしてにがり切り、煙草をふかして、返事をしなかつたため、カツとなり、電話帳の住所録に記載されている原告の実家や親戚、その他の関係者の欄をマジツクですべて抹消してしまつた。

事情を知らない一郎は、出張先きから帰宅して、この状況を目撃し、「家を出るときは、平穏に行動するよう」、気を使つて念を押しておいたことが裏切られ、自己及び家族に対し、別居独立を見よがしにして、飛ぶ鳥が跡を濁したものと誤解して立腹した。

6  一郎は、被告が七月二四日の事実を否認するのに動かされて漸く動揺し、身びいきから真相不明の懐疑状態に陥り、むしろ原告に冷静になつて反省すべき点があると考えるようになり、アパートに引越すことを留保して、相談に仲人の丙川宅を訪れ、原告とも其処で話し合つたが、原告が、「父が悪い。」というのみで反省を示さないので、このままでは生涯自ら夫婦と両親とが断絶してしまうこと、延いては夫婦も不愉快な亀裂に至ることを恐れ、離婚も止むを得ないのではないかという心情を兆した。丙川は、円満解決策として、原告、一郎と相談し、原告を説得して、要するに両親から別居独立出来ればよいのだから、別居後の両親、夫婦の円満のため、原告が両親に対し、父の行為は無かつたとして、原告が嘘を言つていたことにして、あやまることを承諾させ、原告は、九月二四日被告宅に赴いて、一郎が自分を信ずることを信じつつ、一郎や両親の前でそのように言つてあやまつた。しかるに、一郎は、そのため却つて洞察力を失い、原告を信じ難しとするに至つた上、両親が快く原告をゆるし別居を承諾しなかつたため、一郎は丙川の智恵を活用することができず、原告との離婚を止むなしと決意するに至り、翌日その旨丙川から原告に伝えた。

7  その年(昭和四六年)一二月、原告から横浜家庭裁判所に離婚等の調停を申し立て、婚姻関係の調整・回復が話合もなされ、一郎にもやり直しの心情があつたが、原告が両親からの別居独立を絶対的に主張する一方、一郎には経済的配慮からの不決断があり、そのため原告が一郎を「両親から独立できない頼りない男性」と批判して、双方が感情的に対立し、夫婦自ら婚姻関係の調整に失敗し、特に原告の父乙山五郎の感情が強烈で、円満解決の障害の一つとなつて、結局調停は不調となり、協議離婚も円満に成り立たないままに、原告と一郎は共に婚姻を継続する意思を失い、相互の交渉も絶え、原告は実家に別居し傷心のまま再び勤めに出ようとし、一郎は身びいきに両親と同居を続け、むしろ自己所有の家屋を維持することを選び取り、両者の婚姻関係は全く破綻している。

8  原告においては、被告の軽率にして破廉恥な愛戯行為に因る精神的苦痛と被告及び母梅子からの独立別居の願望とは表裏をなしたのに対し、一郎においては、父の行為の真実なることを前提としての独立別居の衝動的願望であつたので、父たる被告が自己の行為を否認したことに因つて、むしろ妻たる原告の言を疑うに至り、原告に対する誤解も加つて、その反省を求める心理に陥り、別居独立に消極的となつて行つたため、原告の願望に対する抱擁と理解と洞察を失つたため、婚姻関係が決定的に破綻するに至つた。すなわち、被告の破廉恥行為とそれを秘匿した行為とは一体をなして、右のように原告と一郎との婚姻関係を破綻せしめるに至つたのである。原告と一郎とが一旦は心を一つにして別居独立を決定しながら、荷作りを原因とする相互の誤解から互いに咎め合い、要求し合つたことが、二人自ら、別居を失敗させたとはいえ、このことは被告の行為から破綻に至る全体の因果関係の中における経過的一原因の競合に過ぎず、全体の因果関係を中断するものではない。

9  原告は、被告の軽率にして破廉恥な愛戯行為に因り、驚駭と嫌悪感に因つて先ず重大な精神的苦悩を受け、さらに被告のその後の秘匿行為に因つて、一郎との夫婦の信を阻害され、事の成行き上当然妥当な独立別居の願望が一郎から正解されざるに至つたことに因り、重ねて深刻な精神的苦痛を蒙り、延いては若き妻として婚姻関係の破綻、解消という回復すべからざる痛苦を受けたのである。

三被告本人尋問の結果中、以上の認定に反する部分は措信しない。他に、以上の認定を覆えすに足る証拠はない。

四以上の認定事実によれば、被告の破廉恥行為とその秘匿行為とは、一体をなして、原告に対する不法行為を形成するものということができ、被告は原告に対し、その蒙つた精神的苦痛を慰藉し、その精神的損害を慰藉料の支払をもつて賠償する法的義務がある。そして、その慰藉料額は、以上認定の全事実に鑑み、特に、原告が両親に対する嫌悪感や悪感情から時々に感情が走り、自らも事態を破つて破綻を招いた点があること、一郎との間において、いやしくも夫の父を咎めて容赦がなく、事態を収拾するに賢明と宥和を欠いたことが事態を悪化させ婚姻関係の破綻に導いた原因の一つであると認められることと、被告のいたずら行為の内容、程度及びそれを誘発した動機、情況を併わせ勘案して、金五〇万円が相当である。

五なお、被告は、昭和四六年九月二四日、原告が被告を宥恕して、被告の行為に対する責任追求の権利行使を放棄した、と主張するけれども、当日における原、被告間の話合についての認定は、前記二の(6)のとおりであつて、被告の主張のようには認められず、他に右主張を認めるに足る証拠はない。

六よつて、原告の慰藉料二〇〇万円の支払を求める本訴請求は、金五〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四八年一月二五日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるものとして認容すべく、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。 (立岡安正)

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